旅する写心 〜Gold Medalist

ロサンゼルス郊外のリビエラCCに
一枚の小さな写真が飾られている。
ゴルフではなく馬術競技の写真。
開場当時、リビエラには
ポロ競技場が併設されていた。

写っているのは日本人で、
「バロン西」こと西竹一男爵。
クリント・イーストウッド監督の
映画「硫黄島からの手紙」にも登場した
西中佐がその人だ。
1932年ロサンゼルス五輪の
馬術障害飛越で金メダルを獲得した。
ともに写るのはウヌラス号。
愛馬探しで訪れたイタリアで出会い、
一目で惚れ込んだバロンは、
即座に自費で購入したという。

リビエラに伝えられている話だと
英語が堪能な彼は五輪前
ハリウッドスターとも交流を深め、
リビエラのポロ競技場で練習した後は
連日ハリウッドでのパーティーに
出かけていたらしい。
しかしものの見事に金メダル。
馬術の障害飛越は当時、
メインスタジアムの最終種目で
最も注目を浴びる競技だった。
優勝インタビューは英語で
「We won(我々は勝った)」。
自分一人の手柄ではなく
人馬一体だったと宣言したことで
全米の人々が感動、熱狂した。

その後、第二次世界大戦に突入。
バロンは陸軍中佐として硫黄島に赴く。
ロス五輪で手にしていた愛用の鞭、
そしてエルメスにオーダーメイドした
乗馬長靴姿の西中佐は戦場でも
ダンディな姿を崩すことがなかった。
やがて戦場の様相は熾烈を極めていく。
攻めるアメリカ軍はその命を惜しんで
「馬術のバロン西、出てきなさい。
世界は君を失うにはあまりにも惜しい」
と投降を呼びかけた。
西中佐はそれに応じることなく、
硫黄島の地で戦死。
享年42歳だった。

一枚の写真が物語る
偉大な日本人の歴史。
窓から見えるサンタモニカが
キラキラ輝いていた。

The Riviera Country Club
カリフォルニア州パシフィックパリセーズ

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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