旅する写心 〜「一瞬のアダージョ」1996年 プレジデンツカップ

1994年に始まった
プレジデンツカップ。
ライダーカップに出場できない
ノーマンやプライス、
エルスの強い思いがあり、
やっと出来上がった大会だった。

もちろん日本にも出場要請があった。
当時絶好調だったジャンボ尾崎が
真っ先に名前が上がった。

しかし、このようなチーム戦に対して
シャイなジャンボにとっては
一番の苦手な大会。

パーティーが多く
アメリカ大統領も出席し、
おまけにホワイトハウスまで行くという。

ジャンボはなかなか
首を縦には振らなかった。
そして代わりに出場したのは
渡辺司だった。

大会は異常な盛り上がりをみせ
渡辺は帰国した。
早速ジャンボは労いも兼ね
様子をうかがった。

2年後の1996年。
再びジャンボの元に
出場要請があった。
キャプテンはゴルフを始めたころ
とてもお世話になった
全英オープン5回優勝のピーター・トムソン。

流石に断りづらい。
ジャンボは重い腰を上げて出場を決めた。
それは想像を絶する大会規模だった。

ビジェイ・シンと組んだジャンボは
2日目は当時最強コンビと言われた
カプルス&ラブチームに勝利。

最終日のシングルマッチは
1ポイントを争う拮抗した展開。
最後の勝敗を決める
シンとカプルスの一騎打ちに
知らぬ間にジャンボも興奮していた。

もともと言葉の壁を気にしていたが
ゴルフゲームの面白さ、
チーム戦の一体感、
世界を代表するプレーヤーが
ガチンコで戦った。

今ではこの大会が
大成功を収めるようになったが、
この第2回大会の戦いが
大きかったと言われている。

いつか日本で開催される時が来たなら
是非ジャンボ尾崎にキャプテンを
やってほしいと願っている。
ジャンボはチーム戦が大好きなのだ。

Robert Trent Jones Golf Club
ロバート・トレント・ジョーンズ ゴルフクラブ

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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